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福岡地方裁判所直方支部 昭和56年(ワ)31号 判決

主文

一  原告らの各請求をいずれも棄却する。

二  訴訟費用は原告らの負担とする。

事実

第一  当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告は原告山本君雄に対し、金一二〇〇万円及びこれに対する昭和五五年八月一九日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

2  被告は原告山本桃恵に対し、金一二〇〇万円及びこれに対する昭和五五年八月一九日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

3  訴訟費用は被告の負担とする。

4  仮執行の宣言

二  請求の趣旨に対する答弁

1  原告らの各請求をいずれも棄却する。

2  訴訟費用は原告らの負担とする。

3  仮執行免脱の宣言

第二  当事者の主張

一  請求原因

1  「千石峡」と観光客の来集

(一) 福岡県鞍手郡宮田町大字宮田を流れる八木山川の後に記する力丸ダムの下流約二キロメートルの間は、県立大宰府自然公園内にあって「千石峡」と称せられ、すばらしい自然景観や渓谷美を形成し、八木山川の豊かで清澄な水資源を有するところであった。

(二) 「千石峡」は、大正時代末期ころから夏期には林間学校・キャンプ場として、また、水泳・ボート漕ぎの場としてさらに、清流にのみ棲息する川魚の釣場等として、県内各地から多数の観光客、行楽客、避暑客、保養客、釣客等(以下、観光客という)が集まってにぎわいをみせ、昭和三七年の夏期には一〇万人近い観光客が集まるまでになった。

(三) そのため、宮田村(現宮田町)営の休憩所や貸バンガロー等ができ、民間人による休憩所、飲食店、貸ボート、旅館等が経営され、民間会社による保養所、療養所も開設されるところとなった。

2  原告らの「千石峡」での営業

(一) 原告山本君雄(以下、原告君雄という)と原告山本桃恵(以下、原告桃恵という)は夫婦であるが、原告君雄は昭和二九年ころまでは同県同郡小竹町大字勝野で水洗炭業を経営していたものの右経営は振わず、昭和二九年七月ころ「千石峡」に近い宮田町大字宮田一五六五番地(甲第一号証中旧原告宅と図示している地点)に移住し、原告君雄は同県同郡若宮町の力丸地区、小川地区、中畑地区を中心にその周辺に点在していた民家へ魚(飯塚市中央魚市場から仕入れたもの)、野菜、果物等の行商をなし、原告桃恵は同所に店舗を構えて菓子、果物等の販売を行っていた。

(二) 昭和三六年七月一五日、原告らは「千石峡」の中心部に存在した日鉄鉱業二瀬健康保険組合の山の家療養所の管理人として採用され、右管理人としてその業務に従事していたところ(原告君雄はその傍ら前記行商も続けていた)、昭和三七年四月一七日、右山の家療養所の建物、敷地及び什器、備品等の一切を現状有姿のままで買い受け、その所有権を取得したので、右建物を改造、補修して旅館とし、その一部を飲食店及びその他物品販売店とした。そして、原告桃恵は旅館業の許可を受けて旅館名を「若千石」と名乗り、昭和三七年夏ころから観光客を相手に営業を開始するにいたり、原告君雄も同時に同所で右物品販売等を行うこととなった(なお、同原告は前記行商も続けていた)。

(三) その後、原告らの前記営業は順調に発展し、忙しい夏期には数名のアルバイトの従業員を雇い入れるほどの盛況であり、「若千石」は宿泊客、休憩客あるいは山菜料理、川魚料理(「若千石」の裏の自家用池に鯉、鮒、鱒を飼っていた)を食べにくる家族連れの客が一日四〇組もあるほどのにぎわい振りであった。そこで、昭和四二年と昭和四五年には、「若千石」の建物の増・改築を行い客室一三室を有する本格的な旅館に発展させ、その収益を期待していた。

3  原告らの権利

公営施設の経営主体である宮田町や観光客を目当てに営業を継続してきた旅館、飲食店等の営利企業の経営者等は、「千石峡」のすぐれた自然景観や八木山川の豊かで清澄な水資源が人為によって不良変更されないことを前提として営業を継続してきたものであり、また、そうする権利が当然あるものと長年確信してきたものである。長年にわたり右のような「千石峡」を利用(使用)してきた筑豊の住民や福岡県民も前記の人々にそうする権利があることを承認し、尊重してきたものである。それ故、前記の人々の右のような「千石峡」の利用(使用)をもって最早公物法上の単なる一般使用として反射的利益を受けるに留まる場合ということはできず、長年の地方的慣行に基づいて、「千石峡」の自然景観利用(使用)権や水資源利用(使用)権があるものとの社会的承認が原告らを含む前記の人々に与えられているものである。従って、原告らは「千石峡」の自然景観利用(使用)権や水資源利用(使用)権を物権として有するものである。

4  被告の力丸ダム設置・県道拡幅工事と「千石峡」に及ぼす影響

(一) 被告は、「千石峡」を流れる八木山川の上流に力丸ダム(以下、本件ダムという)を設置したものであるが、右ダムが設置されたため「千石峡」を流れる八木山川の水は従前の透明度、清澄度を失い、水質も変化し、また、水量も減少したこともあって、飲料用に不適となり、清流を好む鮎などの川魚も年々減少し、水泳はできずボート遊びも不可能な状態となった。さらに、被告は、昭和四五、六年ころ「千石峡」を流れる八木山川の対岸の県道八木山公園線(以下、本件道路という)の拡幅工事を実施した際、対岸の桜やその他多くの樹木を伐採し(そのため、かつては千本桜と称された桜並木は消滅してしまった)、対岸の崖に自然景観を阻害する不粋なコンクリートブロックで擁壁工事を施したため「千石峡」の中心部の自然景観は著しく破壊されてしまった。

(二) 以上のことから、「千石峡」の自然景観や八木山川の豊かで清澄な水等を求めて集まっていた観光客は年々減少の一途をたどることになり、それら観光客を目当てとして営業を継続していた原告らの営業も衰退するところとなった。

5  被告の不法行為責任

(一) 被告は、観光基本法第二条第七、第八号、第三条及び自然公園法第四二条の規定に照らせば、観光地であり自然公園の一部である「千石峡」の美観風致を維持する義務がある。

(二) 被告は、本件ダム設置や本件道路拡幅工事につきその所属する職員にその職務を行わせたものであるが、その職員は右ダムの設置や右道路拡幅工事により前記原告らの権利が侵害されることを事前に予測することができたはずであるから、前記原告らの有する権利を買収する等して原告らの権利保護を全うすべき義務があるのに、それらの義務を故意又は過失により怠り、その結果原告らの前記権利を侵害したものである。

(三) 被告は、本件ダム設置以前に右ダム設置に重大な利害関係を有する宮田町や宮田町民と協議し、宮田町や宮田町民に対し、昭和三八年二月二〇日付作成の協定書(甲第三号証)により左記事項について約束・保証しているものである(右協定書は右道路拡幅工事にも効力を及ぼすべきものである)。

(1) 観光地「千石峡」を流れる八木山川の流水量は従前どおりの流水量が維持できるように右ダムから常時放水させる。

(2) 右ダムから放水する水の透明度や水質も従前どおりの水準を維持する。

(3) 観光地「千石峡」の振興をはかり観光価値を向上させるような積極的施策をする。

従って、被告の職員は、右ダムの設置や右道路拡幅工事によっても「千石峡」を流れる八木山川の従前のような水の清澄性や透明度、あるいは水質を保持し、流水量を確保し加えて、「千石峡」の自然景観を維持すべき契約上の義務があるのに、それらの義務を故意又は過失により怠り、その結果宮田町民である原告らの前記権利を侵害したものである。

(四) 右にみたとおりであるから、被告は原告らに対し、国家賠償法第一条第一項に基づき、原告らの後記損害を賠償する責任がある。

6  被告の債務不履行責任

前記不法行為責任が認められないとしても

(一) 前記協定書(甲第三号証)による協定は、被告福岡県土木部長と宮田町長との間で締結されたものであるが、契約的正義の観点からして被告は右協定書の内容を誠実に履行する契約上の義務があるものというべきである。しかして宮田町長は地元宮田町の住民の利益を保護するため宮田町民の利益の代表者として、換言すると宮田町民の代理人として締結したものである。

(二) しかるに被告は右義務の履行を怠ったのであるから、宮田町民である原告らに対し、民法第四一五条に基づき原告らの後記損害を賠償する責任がある。

7  原告らの損害

(一) 原告らの逸失利益

原告らの昭和三七年以降昭和五六年までの収入、必要経費、純益等は別紙第一表・第二表・第三表に記載のとおりである。原告君雄の昭和三七年度の純益は年間金一三五万円であった。この水準をそのまま維持していったとすると昭和四〇年以降昭和五六年までの一七年間の純益は金二二九五万円となる。また、原告桃恵の昭和三八年度の純益は年間金六五万三〇二〇円であった。この水準をそのまま維持していったとすると昭和四〇年以降昭和五六年までの一七年間の純益は金一一一〇万一三四〇円となる。右の合計額は金三四〇五万一三四〇円となるが、原告らの右期間内の純益合計額は金五九五万五二四〇円にすぎなかったから結局金二八〇九万六一〇〇円が逸失利益となる。本訴においては内金として原告君雄は金七〇〇万円、原告桃恵は金七〇〇万円を請求するものである。

(二) 原告らの慰謝料

原告らは転業不可能な年齢であり、また、資産もないため他に移転も出来かねている有様である。「千石峡」の盛況を取り戻すためには被告の施策が必要なので、被告と何度も折衡するが誠意ある態度を示さず、原告らは心痛のあまり夜も寝られない状態が続いている。このような原告らの精神的苦痛を慰謝するには慰謝料として原告君雄に金五〇〇万円、原告桃恵に金五〇〇万円が相当であると思料する。

8  結論

よって、被告に対し、原告君雄は金一二〇〇万円、原告桃恵は金一二〇〇万円及び右各金員に対する本訴提起に先だち福岡簡易裁判所に民事調停を申立てた日である昭和五五年八月一九日から支払ずみまで民法所定年五分の割合による遅延損害金を支払うことを求める。

二  請求原因に対する答弁

1  請求原因1のうち原告らが主張する場所が「千石峡」と称せられることは認めるが、その余は知らない。

2  同2のうち原告らが夫婦であること、昭和三七年ころから「千石峡」に居住し旅館及び商店を営んでいたことは認めるが、その余は知らない。

3  同3は否認する。

4  同4のうち被告が本件ダムを設置したこと、本件道路の局部的な拡幅工事を実施し、それに伴って樹木の一部を伐採しコンクリートブロックで擁壁工事を行ったことは認めるが、その余は争う。

5  同5は争う。

6  同6のうち福岡県土木部長と宮田町長とが協定書なる文書により協定を締結したことは認めるが、その余は争う。

7  同7は争う。

三  被告の主張

1  原告らの権利の不存在

原告らが主張する権利なるものは、「千石峡」を利用する者が事実上受ける恩恵とでもいうべきものであり、法律上保護を受ける利益とはいえない。

2  本件ダム設置の適法性

(一) 位置及び構造

本件ダムは、八木山川(遠賀川の左支川である犬鳴川の右支川)の中流部(左岸=鞍手郡若宮町大字下、右岸=同郡宮田町大字宮田地先)に位置し、高さ四九・五メートル、長さ一六〇・五メートルの重力式コンクリートダムで有効貯水量は一二五〇万立方メートルである。

(二) 必要性

本件ダムは、洪水の調節及び上水道用水・工業用水の供給を目途とする多目的ダムで、しかも、右設置下流域は従来より梅雨性豪雨や台風による被害多発地域で、戦後も昭和二四年以降大規模な洪水被害が発生し、昭和二八年の梅雨性豪雨による被害は甚大で、根本的治水対策が強く望まれるに至る一方、北九州市及び直方地区の上水道用水、さらに北九州工業地帯を間近に控え、その工業用水の確保が右地域の人口の急増及び工業の飛躍的進展の中で急務となり、それぞれの取水計画のもとにこれらの用途を満足するものとして計画設置されるに至ったものである。

(三) 設置手続

本件ダムは、八木山川総合開発事業として昭和三四年計画立案され、被告は旧河川行政監督令(大正一五年八月二七日勅令二九〇号、廃止昭和四〇年四月一日)第三条に基づき、昭和三九年一二月一一日建設大臣の認可を受け、総事業費二〇億六〇〇〇万円、着手昭和三四年完成昭和四〇年にて実施完成に至ったものであって、設置位置等についても地形、地質、水設物件等の状況を充分比較検討のうえ前記位置に決められるに至ったものである。一方、被告は右開発事業の実現のため地元宮田町の理解と協力を得円満なる遂行を期すため、昭和三八年二月二〇日福岡県土木部長と宮田町長間の協定書により協定を締結し、被告はこの協定に基づいて、原告君雄に対し、右ダム設置にからむ被害の補償を行うものとし、同原告と被告間で交渉の末、左記のとおり補償手続を行ったものである。

(1) 飲料水及び雑用水汚濁に関する補償金

昭和三七年一〇月四日妥結。同年一二月二九日金三万五〇〇〇円を支払い全て完了。

(2) 損失及び営業補償

昭和三九年三月三一日妥結。同年四月八日金一四万〇六四〇円を支払い全て完了。

以上の如く、右ダムはその必要性をもとに技術的検討を加え設置された妥当適法なもので、その設置について何らの違法性も存しない。

3  本件ダム運用の適法性

本件ダムは、河川法第三条第二項にいう河川管理施設であり、河川の流水によって生ずる公利を増進し、又は公害を除却し、若しくは軽減する効用を有する施設であることはいうまでもないが、その操作については同法第一四条に基づき、昭和四一年九月一日建設大臣の承認のもとに操作規則(力丸ダム操作規則)を定め、この規則に従い運用しているものである。同規則第二三条及び第二四条の規定によると、毎年六月一日から一〇月五日までは最大毎秒〇・七五立方メートル(一日約六万五〇〇〇立方メートル)、毎年一〇月六日から翌年五月三一日までは最大毎秒〇・三立方メートル(一日約二万六〇〇〇立方メートル)と定められており、この規則の範囲内で放水を行っているものである。

以上のごとく、右ダムの運用も右規則に従った妥当適法なものであって、その運営には何等の違法性もない。

4  本件道路拡幅工事の適法性

(一) 必要性

本件道路である県道八木山公園線は、県道として認定されるまでは宮田・若宮両町の管理する町道の一部で、その山地部は峻険な山岳地を開削した幅員四・五メートルから五・五メートルの砂利道であった。

それのみならず、落石崩土等の災害に対する防護施設も全くない道路交通上極めて危険な道路であった。

よって、その整備、県道としての認定が強く望まれているところであったので、道路法等所定の手続を経て昭和四三年七月六日県道として認定(起点・鞍手郡宮田町大字宮田字尾多羅口、終点・鞍手郡若宮町大字下字尾曲)されるに至ったものである。

(二) 整備状況

ところで道路についてはその構造はその道路の存する地域の地形・地質・気象その他の状況及び当該道路の交通状況を考慮し、通常の衝撃に対しても安全なものであるとともに、安全かつ円滑な交通を確保することができるものでなければならない(道路法第二九条)とされており、この目的を達成するため、道路構造の幅員、線形等についての技術的基準として同法第三〇条第一、二項により道路構造令(昭和四五年一〇月二九日政令第三二〇号)が道路の種類ごとに定められている。本件道路についても、被告は右構造令に従い、昭和四五年度から昭和四八年度の間前記町道を改築したものであり、右道路の本件関係部分についても拡幅する必要があり、さらに落石・崩土等の災害を未然に防止するため擁壁、側溝の必要があり樹木の伐採の已むなきに至ったもので、これは右道路改築上已むを得ないところであった。

以上のとおり、右道路の拡幅による樹木の伐採等は、道路改築上已むを得ない適法なもので、仮に万一原告らがいう自然景観に何がしかの影響を与えたとしても被告の行為に違法性はない。

5  因果関係の不存在

原告らが経営する旅館及び商店の収入が減少したのは被告が本件ダムを設置したことや本件道路拡幅工事を行ったことによるものでない。即ち因果関係がない。

第三  証拠関係(省略)

(別紙)

当事者目録(省略)

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